シーコング店長ブログ

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雑誌風にカリフォルニアを語りました!

藤沢店の田中です。

 

とある雑誌から「カリフォルニアについて」という記事をご依頼いただきました。

 

とりあえず思いつくことを書いたのですが、ちょっとご希望の主旨と違っていたようで、先ほど書き直しを完成させたところです。

ということで、せっかくなので最初に書いたものをアップさせていただきました。

 

タイトルを「雑誌風に・・・」と書きましたが、雑誌用に書いたので雑誌風は当たり前ですね。

 

お暇であれば、お読みください。

 

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もし皆さんがロングボードを選ぶ理由は?と聞かれた時、「体力が落ちたから」とか「波が小さくてビーチが混んでいるから」と答えるなら、それは残念ながらロングボードの魅力を半分も味わえていないといえるでしょう。

 

確かにロングボードは浮力があるのでパドリングが容易く、波が小さい混雑した海でも簡単にテイクオフすることができます。特にこれからサーフィンを始める場合や体格の大きい方にとってもロングボードは最高のパートナーとなります。

 

でも本来、ロングボードはおじさんやビギナー、小波のビーチだけに向けたものではありません。

 

ロングボードの聖地カリフォルニアのサーフィン文化をたどれば、ロングボードこそが流行の発信源だということに気づかされ、それは10代、20代の世代が中心となって継承している文化だということがわかるでしょう。そしてその脈々と受け継がれている文化こそがロングボードの最大の魅力であると気づくでしょう。

 

1950年代に黎明期を迎えたサーフィンは1960年代になって一大ブームを巻き起こした。それはゴールデンエイジと呼ばれたアメリカがもっとも繁栄した黄金期と重なる。昼はビーチでサーフィンに明け暮れ、夜はパーティ三昧とまさに当時の若者たちは時代を謳歌した。サーフィンは若者の自由の象徴として新しいファッションや芸術、そしてライフスタイルを生み出し、それはサーフィンを見たことがない世界中の人々の服装や髪型にまで派生した。

 

サーファーたちの自由で平和を愛する精神はベトナム戦争という狂気の時代に突入した後も反戦運動やサイケデリックアートなどによって引き継がれていたが、泥沼と化していた戦争が1975年のサイゴン陥落によって終結に向かったように、初期のサーフィン文化は突如出現したショートボードに取って代わられていた。それはまさに時代の転換期であった。その後、世界の文明はそれまでとは比較にならないスピードで発展することとなる。次々と新しい技術、素材が開発され、プロダクツの性能は急速に高められた。コンピューターが一般に普及した後、進化のスピードはさらに加速度を増した。

 

サーフィン文化もその例に漏れない。1960年代にはすでに巨大産業と化していたサーフボードのメーカーはそのパワーをもとに、1960年代後半からオーストラリアで興っていたショートボードへの流れを封じ込め、膨大なロングボードの在庫を売り切ることに専念していた。在庫を売り切った後、彼らは秘っそりと開発していたショートボードを市場に投入した。その後はあるゆるプロダクトと同様にサーフボードは素材を変え、物理学の視点から形状を進化させ、スポーツとして花開いた。

 

ご存じのとおりロングボードも同じ道をたどっていた。元来、起源は逆であったにもかかわらず、1980年代に再び出現したロングボーダーたちはショートボードの幻影を追った。薄く、軽く、細く・・・できるだけショートボードのように・・・

 

1990年代に入り、矛盾に満ちたその流れに違和感を持ったものが現れ始めた。

 

そして、「何のためにそれ(ロングボードであるにもかかわらずショートボードのように動かそうとする)をする必要があるのだろう。そもそもサーフィンとは波に乗ること。ただそれだけ。別に他人と競ったりするものではない。単なるビーチの遊び道具に過ぎない。あの古き良き時代、サーフィンはもっとピュアで楽しめるものだった。そこに戻るべきだろう」という動きが広がっていった。

 

 

それ以降、カリフォルニアではサーフィンとは懐古趣味と同義語だ。古いバイクやファッションの愛好家と同様にサーファーとは古い文化を継承する集団なのだ。そこに最新鋭のハイテクで勝負を挑むのはナンセンスだ。

 

その精神をサーフボードに置き換え具現化したのがロビンキーガルという若者だった。彼は遅ればせながら、12歳になってショートボードでサーフィンを始めた。それから約1年後、ニューポートビーチでロングボードの上にまっすぐに立ちながらスピードをコントロールしているアレックスノストにくぎ付けになった。そして「ロングボードこそが波に乗るという事において最も理にかなっている」ということを発見した。

 

それ以来、彼は古いサーフィンの雑誌を読み漁り、まず「優れたサーファーは自分のボードは自分でシェープする」というフレーズを見つけ、シェープを開始した。そして古き良き時代に遡った自分を想像し、当時のボードを再進化させることを決断した。後にその理由を尋ねると「誰もやっていなかったから」と彼は答えた。

 

彼と彼の考えを理解する仲間たちは、懐古趣味に浸りながらサーフィンだけではなく、モノクロ映像やアートを制作し、それをTシャツにプリントした。また音楽を志す者はシンプルなインストメンタルでノスタルジックなフレーズを奏でた。彼らの作品は地元のサーフショップを皮切りに、最先端のLAのセレクトショップ、日本、ヨーロッパへと拡散された。

 

カリフォルニアの中でもサーフィン産業の集積地と言われるオレンジカウンティに属するビーチのキッズたちは彼らを若き成功者と称え、彼らの文化をなぞった。だから幼くてもマセたキッズたちにとって、ロングボードに乗って、世界を飛び回る兄貴たちは憧れの存在だ。だからサーフィンを始めるにあたってロングボードの他に選択肢はない。そうやって彼らのロングボード文化は継承されている。

 

ここで重要なのはオレンジカウンティという地域だ。カリフォルニアのサーフィン文化はいくつかの地域に分かれている。北に位置するサンタクルーズ周辺の極感でパワフルなうねりはハードコアそのもので、生半可な遊びは通用しない。サーフィンはとてもワイルドでラディカルなアスリート的なものだ。マリブからハーモサビーチに至るサウスベイエリアは大都会に近いためサーファーの主流は富裕層だ。つまり高額なボードが好まれる。オーシャンサイドからサンディエゴにかけての最南部エリアはいつの時代も革新的だ。サーフボードの進化に余念がない。それはある意味カルチャーというよりも仕事に近い。そしてオレンジカウンティ。ここは時代錯誤の地域だ。祖父のガレージから拝借したビンテージのボードをお気に入りの50年代のフォードの屋根に積んでビーチに現れる。身の回りのものだけではなく、ライフスタイルも当時のままだ。もともと裕福なエリアであることもあって、そのような世間知らずなサーファーで溢れている。ろくに学校(仕事)も行かず、海でだらだらと過ごす。カリフォルニアでは「どうしようもない奴」のことを”サーファー”と表現することがある。彼らはサーフボードの形状だけではなく、古き良き時代の生き方までも継承し、それを格好いいと思っている。その自由な背景から生まれるファッションや音楽が前述のように世界中に拡散される。つまり、巷で言われるサーフィンカルチャーはオレンジカウンティが発信地なのだ。

 

 

38歳となったロビンキーガルはすでにその功績によって名声を手に入れた。

 

まだ誰もその価値を気づかない頃から1960年代のサーフボードにのめり込み、進化に取り組んだ。自由な動きを得意とするPIG(ピッグ)を現代によみがえらせ、スピードシェープ、グライダーなどを高い次元で技術を加えながら復活させた。「彼のことを理解するのは難しい。とても先を行っているから。でも気がつけば市場にあふれるボードは彼の功績を後追いしているにすぎないんだ」と周囲の友人は言う。

 

また彼は、「優れたシェーパーは、優れたサーファーであるべきだ」、そして「価値あるボードは、優れたシェーパーにしかクリエイトすることはできない」という信念に基づき、生まれ育ったカリフォルニアを捨てヨーロッパ、アフリカに渡り、生活のすべてをサーフィンとシェープに捧げている。彼の生活を垣間見れば、けっしてお金のたまにサーフボードをシェープしているのではないことは明らかだ。その昔、カリフォルニアからヨーロッパに渡ったサーファーがいる。カリスマ、ミッキードラだ。。ロビンキーガルの人生はすべて歴史を継承している。

 

いかがでしょう。ロングボードを選ぶということは、真のサーファーに近づくという意味にお気づきでしょうか。そこには技量のレベルや性別は不問です。けっして”おじさん専用”ではなく、むしろ10代、20代も率先して乗るべき象徴的な遊びの道具であり、ファッションの最先端なのです。

だからロングボードを手にすれば、胸を張り、颯爽とビーチを歩きたい気分になるのです。

 

書き直したものの方が、はるかにいい内容となっている(と信じています)ので、次号「Blue.」は、"MUST BUY" でお願いいたします。

 

また発売されたら、ご紹介させていただきます。

 

 

シーコング

田中