藤沢店の田中です。
『デーンピーターソンの苦悩・・・・』
「ちょっとこれを見てくれないか?」とデーンは真剣なまなざしを私と新井に向けた。
「この線はこれからシェープしようと思っているボードのテールのアウトラインなんだけど、黒い線が今までのアウトラインで、赤い線はターン性能を高めるために考えている新しいラインなんだ」
私と新井は顔を見合わせ、「2本の線は重なって見えるんだけど」と言った。
その言葉にヒートアップしたデーンは「全然違うんだよ。ほら赤い線の方が少しカーブして見えるだろ?これによってスピードを落とさず、急角度のターンが可能になるんだよ」、「このラインを試して完成させるまでに、あと数週間はかかりそうだ」と言った。
私は半ば感心し、そして半ば呆れながら、話を変えた。
「そういえば、前回ローラミニョーのボード(ラローラモデル)を2本作ってもらっただろ。あれを買った二人の女性が口をそろえて”難しい”っていうんだよ。だから次に頼んだ時は、もうちょっと簡単にしてもらえないかな」
「難しいって?」と、デーンは怪訝そうな眼差しを私に向けた。
「ラローラはノーズのエントリー部分からボトム形状がロールしてるだろ?その上ピッグ形状だから、特にノーズライディングの時に安定感を感じられないって言うんだよ。だからロールを少し少なくして、フラット気味に・・・・」と、私が話している最中に、「ちょっと待って」とデーンは遮った。
「ロールにしてほしいって言ったのはローラなんだ。だからもしそのロールを小さくすると、それはローラの希望とは異なってしまい、そうするともうそれは”ラローラ”とは呼べないんだ」
「いやいや、そんな話じゃなくて、シーコングとしてはすべての女性がローラのように美しくきれいで、そしてローラと同じライディングをイメージすることができればいいんだ。だからハイエンドサーファー向きの調整は必要ではなく、イメージと名前が・・・」という私の意見を、再度遮り、
「簡単なボードであっても、俺が作る限り、それは世界最高の簡単なボードでなければならないんだ。だから簡単なボードであっても世界最高のボードとなると、それは簡単に作ることはできないんだ。まずローラと話して、それから変更する場所と・・・・ロゴのデザインも少し変えて・・・・うーん、一年くらいかかるかな」と、デーンは言った。
「そうじゃなくて、今のロールをもう少しだけフラットにしてくれるだけでいいんだよ。そうすればスピードと安定感は得られるわけだし・・・」と、私は反論したいところだったが、胸の中にそれをとどめた。
「そうだよな。だからお前が作るボードにみんな乗りたがるんだよな。ロビンのように突き抜けたところを目指すアーティストと違って、才能と人格が皆を惹きつけてるんだもんな・・・それは世界最高と言えるものだもんな」と、話を続けているデーンを私は見つめていた。
私がデーンピーターソンに会ったのは2001年頃だった。
当時取引をしていたオーストラリアの「サウスコースト」というブランドのプロモーションにブランドのオーナーであるイアンがデーンを連れて来日したのだ。
もちろんデーンの名前は知っていた。それどころか、当時のシーコングのスタッフ、お客様の多くがすでにデーンピーターソンのファンだった。
トーマスキャンベルが1999年に製作した「シードリング」において彼はシングルフィンロングボードシーンへの変革を担う著名なサーファー達に名を連ねていた。
「シードリング」は当時主流であったハワイアンスタイルのハイパフォーマンスのロングボードシーンを現在へと続くシングルフィンロングボードシーンへと変えたわけだが、重量のある長いロングボードでノーズライディングを決めるサーファーたちはとても新鮮で格好良かったのだが、それはそれまでのサーフィンに比べ動きの少ない物であった。
その中で小柄なデーンピーターソンは躍動していた。小柄ながら長い手足をいかしてとてもダイナミックな動きを演出し、ノーズライディング一辺倒ではなく、ラディカルにそしてアグレッシブな動きをも取り入れていた。
最年少であり、登場したシーンはそれほど長くなかったが、当時の敏感なサーファーたちを刺激し、ファンを増やした。
その彼がオーストラリアのブランドのライダーとして来日したのだ。
当時すでにロビンキーガルから「デーンは体は小さいけど、とても口うるさくて、そして過激な性格なんだ。おれは弟のクリスとは仲がいいけど、デーンとはいろいろともめたことがあって・・・・」と聞いていた。
その通り、初めて会ったデーンはとても明るき、気さくで礼儀正しかったが、発言は少し過激だった。
「オーストラリアに移住したのはカリフォルニアに住みたくなかったからなんだ。俺はロサンゼルスのダウンタウンに近いゲットーを育ち、周りにはギャングがたむろし、家庭の中はとてもすさんでいたんだ。だからもう二度とカリフォルニアに戻ることはないな・・・」と、オーストラリアに移住した理由を語った。
その後の彼の活躍はすでにご承知のとおりで、ハイパフォーマンス天国であったオーストラリアのロングボードシーンをシングルフィンロングボードに一変させ、さらに1960年代後半のトランジション期前のハイパフォーマンスピッグを復活し、ノーズ一辺倒であった単調なシングルフィンロングボードシーンを派手で華やかなパフォーマンスをもたらせ、世界中にそれを広めた。
その後、フォトグラファーとしての才能も開花させたデーンは、その可能性を伸ばすため、人間的にも大きく成長しカリフォルニアのサーフシーンにカムバックした。
そしてその後は、持病の腰痛と闘いながら、少量の極上のボードを作っていった。
そのために彼のボードに乗ることができるのは、ごく限られたサーファーだけであった。
腰痛と本職の写真撮影のため、大量生産どころか、月に数本のシェープしかできず、巷のサーファーが彼にボードをオーダーするすべはなかった。
それでもまずはアレックスノストがダクトテープにおいてデーンのボードで二連覇を果たした。
それ以降、デボンハワード、ジョシュファブロー、カシアミーダー、コリンウィットブレッド、ローラミニョー他、著名なサーファーが彼のボードを愛用した。
彼はよりよい生活を求めるために、シェープするボードの本数を増やそうと考えた。そしてその矛先は幸いなことにシーコングへ向けられた。
「アメリカでは信頼できる友人か、優秀なサーファーにしかボードは作ってないんだ。なにしろすぐに俺のボードはコピーされてしまうんだ。見てみろよ、世界中に俺が創ったペトピッグが名前を変えて販売されてるんだ。だからシーコングにしかボードは作らないよ」と、彼はうれしいことを言ってくれた。
序盤は順調だった。すでにガトヘロイ、エルモア、BMTほか強力なラインナップを持っていたが、デーンの作るボードはそれらとバッティングせず、また見る人達、乗る人たちを魅了した。
しかし徐々にその状況は変わっていった。
デーンは優秀なフォトグラファーとしての顔を持つ。そしてパートナーのケイラは彼よりも名の売れた写真家だ。
それによってかよらずか、デーンは自分の作品に常に完璧性を求める。
ほんの少しでもほころびを見せれば、それはいつも完璧な作品を仕上げるケイラに見劣りがするとでも思っているように。
1本のボードを完璧に仕上げるために、試作と試乗を繰り返す。ようやくシェープされたフォームのラミネートにも異常なほどの執着を見せる。
生活を向上させるためにシェープを増やしたというのに、それを追求しすぎるがあまり(結局儲けるというより作品の制作にとりつかれたアーティストのように)、シェープされるボードの本数は激減していった。
1本のボードに費やす時間が長くなればなるほど、彼のボードの価格は高騰せざるを得なくなった。
「自分でもこれがどういうことかは理解しているんだ。サーフボードがこんなに高くなってしまったら、誰も買わなくなるって。でも俺はボード作りにおいて妥協したくないんだ。俺が作るボードは絶対に世界一でなければならないんだ。そのことを理解して、俺のボードにそれだけの価値を感じてもらえるサーファーに乗ってもらいたいんだ」
「でも、そろそろ限界かもしれないって感じてる。現在のカリフォルニアでサーフボードを作り続け、そして売り続けていくことは難しんだ。材料も工場の作業費も急騰している上に、1本のサーフボードに何時間も、何日も時間をかけて作っても理解を得ることは難しくなって来てるんだ。それだけサーフボードの価格が高騰してしまってるんだ」
周りを見回してみれば、シェーパーの(名の売れたサーファーによる)の数は減ってきていると感じる。ロビンキーガルのようにシェープだけで飯を食っていけるのはごくわずかだ。アレックスにしろ、ジャレッドにしろ、彼らはスポンサーによって生活を支えられている。
ダノーはすでに生活の基盤を築いているが、若きトロイエルモアもその生活環境はデーンと似たり寄ったりだ。
他のサーファーに目を向けると、クリスチャンワック、ブライアンアンダーソンはすでにサーフィン業界とは決別し、その他の多くのシェーパーは副業の比率が高い。
若い世代に至っては、もうすでにシェーパーとして生きていくという選択肢はほぼなさそうだ。どんなにサーフィンが好きで、上手くても親からは進学を勧められ、安定した生活を求められる。
シーコングは現在カリフォルニアから10ブランドのボードを輸入しているが、あえてハンドシェープにこだわってきたわけではない。
ロビンから始まった(腐れ)縁が次々とマグネットのように才能に溢れたサーファー、シェーパー達を引き付けてきたのだ。
またハーバー、ウェーバーのようにマシンシェープをしていても、それ以降の工程のすべては手作業だ。
今、ビーチにはその手作業を必要としない大量生産のプラスチック製ボード、スポンジ製のボードが溢れている。
どちらを選ぶかは自由だが、それらのサーフボードと彼ら一流のハンドシェープシェーパーが作るボードを同列に並べることにはさすがに抵抗を感じている。
”サーフィン”カルチャーのベースは古き良き時代へのレイドバックである。新素材、最先端を追求し、息苦しく時間に追われた現代社会から解放されることがベースとして考えられている。
性能や便利さではなく心を豊かにしてくれる味わいを大切にしていくのがサーフィンの原点だ。
だからデーンピーターソン、トロイエルモアを支えていくのもシーコングの使命だと感じている。
「毎週ブログを書きます」と宣言して以降も、まったく筆が進まず、来週の渡米が近づいてくるに従い焦りを感じていました。
どのようにお伝えすれば皆様にデーンピーターソンの頑固なまでのシェープに対する姿勢を感じていただけるのか、ということをいつも考えています。
それはロビンキーガルもそうであるし、トロイエルモアも変わりありません。
それぞれのスタイル、作り出すボードの形状が違っても、彼らのこだわり、探求心、追求は変わりありません。
それは似た様でいながら、多くの巷のシェーパーとはまったく次元が異なるのです。
以前は「わかる人にはわかる」と言われてきましたが、もはやネットの氾濫や雑誌の休刊に伴い、情報は混とんとしています。
それでも真実を伝える声は上げ続けなければならないと、使命を感じています。
そうでもしなければ、彼らの苦心、才能に報いることはできないと感じている今日この頃なのです。
⇒アンヒンジドサーフボード by デーンピーターソンについてはこちら
皆様が私たちの取扱いブランドにご興味を持っていただけるよう願っております。
シーコング
田中