シーコング店長ブログ

シーコング各店より毎日お得な情報をお届けいたします。


f:id:SEAKONG:20181205180050j:plain

ロビンキーガルのボードはなぜ素晴らしいのか!?

藤沢店の田中です。


カリフォルニアにいるロビンは何とか楽しくやっているようでここのところ3日に一度くらいメールが来ます。

あれだけカリフォルニアはクソだと言っていたにもかかわらず、今滞在しているオーハイという街を相当気に入ったらしく、もうアメリカにいる間はここから出ないと断言しているほどです。まったく単純すぎて感心します。


滞在している4か月の間に150~200本のボードをシェープすると意気込み、新しく作ったクレジットカードでいきなり限度額までブランクスを発注しまくっているようです。まったく計画性もなく、やることが大胆過ぎて感心します。


まだこれからシェーピングルームを作るにもかかわらず、いつも壮大な計画だけは立てるのが上手です。


彼の生活がどんなに破綻に向かおうと、シーコングとしてはボードさえ作ってくれれば・・・いいのですが、そうは簡単に行かないのがロビンです。


彼がもし、予定通りに、オーダー通りにボードを作ってくれたらと思うこともありますが、その反面、そんなロビンはつまらないだろうな、とも思います。


ロビンマニアの方々の中にも、彼のその無計画性をむしろ褒めたたえてくれる方がいるくらいです。


とにかく彼の作るボードは“特別感”があふれています。


それは彼のボードを作るコンセプト、シェーピング技術、サーフィンのスキル、そして人間性のすべてが一般人とはかけ離れているからです。


なぜ多くのユーザーの方々が、サーフボードやサーフィンにのめり込めばのめり込むほどロビンのボードに行き着いてしまうのか、そこのところをちょっと掘下げてみたいと思います。

 

 

【ボード製作のコンセプト】

彼は10代の前半の授業中に教科書に挟んで古い「サーファーマガジン」を読んでいました。そして彼はそこで自分の生きる道を発見したのです。そこには1960年代のレジェンドの一人が「サーファーなら自分のボードは自分で作るべきだ」と語っていたのです。

複雑な家庭環境で育った幼いころのロビンは家の中で時間を過ごすことが嫌だったために、ストリートでのスケートボードに熱中していました。

来る日も来る日もスケートボードにのめり込んでいたロビンでしたが、近所のストリートにいればランチタイムや夕食時になると友人たちが自宅へ帰っていくのを恨めしく思っていたそうです。

12歳のころ、彼は母親の知人の老夫婦に引き取られることになりました。

老夫婦はロビンのことをとても可愛がり、彼のわがままを聞いて、ロビンをビーチに連れていきサーフィンをさせたのです。

サーフィンに行けばスケートボードのようにランチタイムに家に帰る必要はないんだ。そこにたむろっている奴らと一日中過ごすことができたんだ。

と、そうして彼はサーフィンにのめり込んでいきました。

当時彼はカリフォルニア屈指のローカルポイントのブラッキーズでサーフィンをしていたのですが、よそ者の彼はローカルの輪に交わることなく、ショートボードに乗っていました。


そしてある日彼は、波の上を走るアレックスノストを見かけたのです。

それはショートボードとは違い、まさに波に乗っていて、その時のアレックスの姿は彼の目に強く焼き付けられました。

それはまさに「サーフボードが波の上で機能している」ことを目にした瞬間でした。

彼はその日のうちに老夫婦にねだり、ドナルドタカヤマのファクトリーを訪れ、初めて自分のロングボードをオーダーしたのです。

それからのロビンは急速にスキルアップし、アレックスを含めたローカルたちにも一目置かれるようになったのです。

そんな時、彼は冒頭のように「サーフボードは自分で作る」という文章を目にしたのです。

それ以来、彼はデューイウェーバー、タイラー、ダノーのチームライダーを経て2003年に満を持してパーソナルブランド「Creme」を立ち上げました。

当初からカリフォルニアスタイルのシングルフィンロングボードをベースに若干細身にシェープし、斬新なアブストラクトカラーでラミネートされた彼のボードはたちまち人気を博しました。

しかし彼は当時のことを振り返り「まるで映画スター気取りだった。格好つけることを意識し過ぎていたんだ。それによって本質を見失うことになってしまった」と言っています。

 

 

転機は商標権のトラブルでブランド名をCremeからガトヘロイに変更してからです。


それまでの原色を用いた派手なアブストラクトカラーを封じ、シックなアースカラーを多用するようになりました。しかし見かけの地味さに反して彼は自分のコンセプトの追求に邁進していったのです。


彼のボード作りのコンセプトとは・・・

1950年代から始まったロングボードは1960年代に世間に普及した後、1967年頃からオーストラリアで急速な進化を遂げることとなりました。

重く、長く、分厚く、ロッカーのなかったサーフボードはトリム&グライドを楽しめることはできましたが、操作性においてはとても簡単と言えるものではありませんでした。

それが1967年になって、ボードにロッカーがつけられ、急速に薄く、軽くなっていき、それまでは不可能だったアグレッシブなマニューバーを可能にするようになりました。

そしてボードはどんどんとサイズダウンされ7ft代後半のボードが作られるようになったのです。

しかし、その動きをいち早く察知したのは、当時すでに巨大産業となっていたビッグサーフブランドの面々だっのです。

彼らはサーフィンの流行のもとに莫大な数の在庫を抱え込んでいたのです。

そこに急にショートボードが流れ込んできたら、在庫をさばけず倒産の危機に陥ると感じた彼らは、マスメディアに圧力をかけ、オーストラリアの情報を完全にシャットアウトしながら、こっそりとショートボードの開発に取り組んでいたのです。

1969年になり、機は熟したとばかりに巨大なサーフブランド各社は一斉にショートボードの販売を始めました。

そしてそれ以降はご存じのとおり、ショートボード全盛の時代となっていったのです。

このストーリーからおわかりのとおり、1967年にオーストラリアで進化を遂げていたサーフボードは、突然にその道を絶たれ、まったく違う角度から投入されたショートボードにその後の進化の過程を奪われてしまったのです。

※1980年代になってリバイバルとして注目を集めるようになったロングボードは、まさに進化したロングボードではなく、ショートボードのテイスト(ロッカーがあり、軽量で、レールにエッジがつけられている)を詰め込んだロングボードだったのはこのような理由があったからです。

ロビンキーガルは当時のサーフボードの進化について考えました。

巨大ブランドの圧力がなかったら、サーフボードは別の進化を遂げていたのに違いない、と。

ロビンキーガルはそのようなボードを作っているシェーパーをくまなく探しました。

そして、わかったのです。そのようなボードを作っているシェーパーはこの世に存在しないんだ、と。

それなら自分でその進化を再現するしかない。当時に遡って、ボードを作りなおしてみよう。

そうして彼の真のシェープ人生が始まったのです。

 

 

 

 

【シェーピング技術とサーフィンスキル】

多くのシェーパーが「〇〇に習った」、「〇〇の子供」と言って、自分のシェープ技術の未熟さを補うような発言をします。

そうでも言わなければ、誰も自分のシェープに注目してくれないだろうとでも言うように・・・


ロビンキーガルは「誰かに弟子入りしたこともないけど、名人と言われるシェーパーのファクトリーに行ってずっと盗み見をしていた」とは言います。


「習ったのはシェープではなく、彼らの歴史だ」とも。


何しろ彼が作りたい(乗りたい)ボードを作っているシェーパーはいないのですから当然と言えば当然です。とにかく彼は歴史を逸脱することを拒み、あくまでも当時の技術を踏襲することに固執しました。


「古いものは古いからいいんだ。新しいものはすべてにおいて進化しているのはわかっているよ。だけどサーフィンにそれを求めるのはナンセンスだ。サーフィンとは1960年代へのオマージュなんだから」

※古き良き時代を大切に思うアメリカでは1950年代からベトナム戦争までの時代を黄金の時代と呼んで懐かしんでいます。サーフィンだけは進化や発展とは別の存在でありたいと思う気持ちが、彼らの精神的な支柱であり、音楽やファッションにも派生しているのです)


ロビンキーガルは、このようにも言います。「優れたシェーパーは優れたサーファーでなければならない」


サーフボードが波の上で生み出す感性を正確に感じ取れなければ、機能するボードは作れない。

いいサーフボードとはトライ&エラーの積み重ねであり、その微妙な違いを感じ取れるサーファーにしか作れないん。それは〇〇の弟子だからできるわけではないんだ。


もちろんコピーするのは簡単さ。誰かが作ったボードをマシンでスキャンして仕上げるのも技術は必要だ。ただしそれでは、そのボードをシェープした、クリエイトしたとは言えない。

彼はシェープのためにカリフォルニアを離れ、フレンチバスク、スペイン、ポルトガル、ウェスタンサハラでサーフィンに明け暮れ、その都度シェープルームに戻り、大量なボードをシェープしました。

そして最終的に彼はこのように言いました。

「もうトライ&エラーの時代は終わった。どこをどのように変えれば、サーフボードの機能は変化するということはすべてわかった。完璧なボードだけを作ることができる」と断言したのです。

 

 

【ロビンキーガルの人間性について】

一方的にしゃべり、人の話を聞かない。

被害妄想と誇大妄想を繰り返し、周りとの調和ができず、トラブルもいとわない。

自分のやりたいことについては一心不乱に長時間にわたって集中できるが、一般的な市民生活を築くことはできない。


典型的な芸術家に見られる人格によって彼は形成されています。

偶然にも彼は遺産を相続したこともありますが、それ以前からも彼のサーフボーど製作は彼自身の生活を築くためのものではありません。

今日明日のために、来月の家賃や支払いのためにシェープしているのではありません。

閃いたもの、確信できたものを、作りたいときに作っているのです。

彼の脳内に潜む完璧な理想のサーフボードを自分の精神が整えられたときにボードをシェープするのです。

すなわち、彼の作るボードは完璧でありながら、すべての人に適しているわけではありません。すべてのコンディションに適しているわけではありません。

むしろサーファーの技術レベルを必要とし、波のコンディションにもシビアです。

しかし、これを単に「癖のあるボード」というには偏見が強すぎます。

彼のボードは限られたコンディションの中で一瞬の光を放ちます。それは絶対に他のボードでは得られない特別な感覚なのです。

少しポジションを違えば失速したり、ワイプアウトするかもしれませんが、それはまさにF1マシンと同等の感覚です。

 

ロビンキーガルの創るサーフボードの愛好者はすでに驚くべき数に上ります。

彼らがすべて上級者というわけではありません。しかし彼らには物の真贋を見分けることができるのです。

 

本物を追求すればするほどロビンキーガルに行く付くのにはこうした理由があるのです。

 

彼のボードは間違いなく乗り手のレベルを引き上げてくれます。

ロビンキーガルのサーフボードに乗らずして、現在のロングボードシーンを語ることはできないのです。


ぜひ彼の作りだすボードにご注目ください。

 


ガトヘロイの在庫はこちら

ガトヘロイの中古ボードはこちら

 


高い完成度を誇る彼の映像もご覧ください!



Summer of the Cat series 

 


シーコング藤沢店
田中