藤沢店の田中です。
先日、ロビンキーガルとの出会い</spantarget="_blank">について書かせていただきましたが、彼が「第1回NALUロングボードコンテスト」において優勝を飾ったのは2000年のことでした。
当時のNALUはまだハワイ特集が多く、表紙を飾っていたのは主にハイパフォーマンスロングボード系のサーファー達で、徐々にジョエルチューダーが取り上げられる機会が増えているのがわかります。
紙面を見ても、ショートボードのようなハイパフォーマンスのライディングスタイルとジョエルチューダー等のノーズライディングの写真が混在して、混とんとしていた当時のロングボードシーンが蘇ってきます。
当時、ロングボードにはハイパフォーマンスかハングテンの2択しかなかったのです。
その状況に大きな変化をもたらせたのは、やはりこの号からだったと思います。
2005年の10月号です。特集タイトルは「ポストジョエルチューダーは誰だ」。
表紙はロビンキーガルとアレックスノスト。
先見の明があった当時のNALU編集長が実際のカリフォルニアのロングボードシーンを見たままにその変化を捉えた特集でした。
紙面では、それまでノーズライディングを含めてすべてがコンテストシーンへとリンクされていたロングボードがカリフォルニアでは若い世代のカルチャーとして発展している様子が書かれています。
サーフィンのテクニックの話ではなく音楽やアートに傾倒していたり、仲間と波や時間をシェアすることなどが書かれています。
ロングボードははっきりとスポーツ的なコンテストシーンからライフスタイルの一部とするカルチャーというシーンに移っていて、日本もいずれその波が伝わって来るだろうと予想されています。
その次に、ロビンキーガルが表紙を飾ったのはこの2004年の62号です。
それまでのエラブラシや単純なインサイドカラーが主流であったロングボードのデザインに突如ロビンキーガルが送り込んだのは、1960年代後半から70年代初頭の時代背景を持つドラッグアートをベースにした“アブストラクト”デザインでした。
2003年にカリフォルニア州のカピストラーノビーチでブランドを立ち上げたロビンキーガルはその翌年、2004年には当時のカリフォルニアのメインストリームのサーファーたちが一堂に会していたコスタメサのスペーリアストリート1653番地に今や伝説となったショップをオープンしました。
この写真は店頭のショールームで撮影されたもので、カラーリング、ボードの形状、壁と床の配色など今見ても彼がどれだけ才能に溢れているかを垣間見ることができます。
当時、広島県に住む画廊を営む方がこの写真を偶然目にし、わざわざ広島からご来店され、まとめて5本のボードをご購入いただいたことがあり、私も強く印象に残っている表紙です。
アレックスノスト、CJネルソン、コーディシンプキンス、クリスチャンワックらがロビンが作ったこれらのボードに乗り、カリフォルニア中のビーチを席巻したのです。
彼が創作したアブストラクトはあっという間に世界中に広まりましたが、現在においても彼の作品を超えるものは見当たらないでしょう。
続いて彼が表紙になったのは2010年の75号です。
後に「あの当時は映画スターのような気分だった。海やパーティで皆にちやほやされていていい気になって、自分もそれを演じなければならないと思ってたんだ」と語ったロビンキーガルはコスタメサでの虚構の生活に疲れ果て、再びカピストラーノビーチに戻ってきました。
写真の建物は、1970年代にホビーアルターがヨットの製造工場として使われていたものをロビンがオフィスと工場に改造したものです。
自分がシェープしたボードではなく、ビンテージボードを歴史的な建物の前で撮影されることにこだわったのでしょう。
彼の創ったボード形状、カラーとデザイン、Tシャツ、そしてライフスタイルや歴史観までも、すべてが時代の先端のさらに10年以上も前を行っていたのです。
当時、ロビンキーガルは26歳。すでに他のシェーパー達とは違う次元、ステージにたどり着いていることが伝わる格好いい写真です。
この後、NALUは編集長が変わったり、編集方針が変わったりして表紙も人物の写真よりも風景などの写真が多くなっていったので、ロビンキーガルが表紙を飾ることもなくなりました。
それでもたった3枚のこれらの写真だけでも、彼がロングボードシーンに大きな影響を与えてきたことは「わかる人にはわかる」と言えると思います。
ウェブサイトリニューアル中!です。
以前よりも、中身を濃くしてわかりやすくなりました!
皆様のご来店、お問い合わせ、お待ちしております。
シーコング藤沢店
田中