藤沢店の田中です。
先週の水曜日から、次世代のカリフォルニアのサーフシーンを担うシェーパーでありサーファーのニックメランソンと彼の専属ラミネーターであるマックスコールドウェル、そして日頃から彼らの撮影をしているコールウォルトンが来日しています。
手始めに金曜日には茨城で撮影し、いよいよ今日から東北に向かいます。
昨夜は渋谷からの終電を乗り逃してしまうという洗礼を浴びているようですが、すでに体力は回復したようで先ほど元気に旅立っていきました。
彼らにとっては初めての日本で、とてもエキサイティングしているようですし、私たちもどんなインパクトの映像を残すことができるか楽しみです。、
シーコングを始めた翌年、初めて来日したのは言わずと知れたロビンキーガルです。
当時、シーコングは創業間もなく、専門誌にもなかなか広告を掲載していただくことができない状況でした。
そんな中、雑誌「NALU」が第1回のロングボードコンテストを開催すると聞いた私は、「優勝すれば写真が大きく掲載されるだろう」と信じ、デューイウェーバーに活きのいいサーファーを日本に送ってくれるように頼みました。
そしてそこに現れたのが、16歳のロビンキーガルでした。当時は身長もまだ私より低く、とても痩せていて、まさに典型的なアメリカの子供(クソガキ)でした。
彼は期待以上の活躍で出場したカテゴリーのすべてに優勝し、雑誌の見開きを飾ってくれました。
それを機に、デューイウェーバーのボードは知名度を増し、売れるようになりました。
そしてそれよりも大きかったことが、そのロビンを通じてできたカリフォルニアサーファーとのネットワークです。
翌年も来日したロビンは当時14歳のクリスを伴っており、そこで悪戯の限りをつくした彼らは帰国早々ウェーバーチームをクビになりました。フリーになったロビンは当時高級ボード界を席巻していた生粋のクラフトマンであるタイラーハジキャンのもとにチームライダーとなりました。
それによって「タイラーサーフボード」がシーコングのラインナップに加わることとなりました。
そのタイラーの元を半年ばかりで去ったロビンは、当時のカリフォルニアのアップカマーが一堂に会したダノーのチームライダーとなったのです。
当然、シーコングはダノーのボードの取扱いを開始しました。
そこにはあの伝説のローカルヒーロー、コーディシンプキンスを筆頭にアレックスノスト、ジャレッドメル、トロイエルモア、JT、タナープレイリーらが集まっていたのです。
当時、その中心地であるコスタメサにはカリフォルニア、世界中から有名無名のロングボーダーが集結し、同じバーに行き、同じライブハウスに通っていました。
まさにサーフィン文化の中心地だったわけです。
そしてダノーチームライダーを経てロビンキーガルはクリームを立ち上げたのです。
JT(現クリームのシェーパー兼ナイトトレインのシェーパー)、エドファクター(ホットドガーチャンピオンシップの主催者)から始まったチームライダーには、そのうちアレックスノスト、コーディシンプキンス、クリスチャンワック、そしてCJネルソンまでもが加わったのです。
そしてロビンの奇策によってそこらじゅうの上手いサーファーは皆、クリームのウェットスーツを着ることとなり、サザンカリフォルニアの最大勢力に躍り出ることとなりました。
その頃、クリームのウェットスーツを着ていたのはジャレッドメル、トーマスキャンベル等がいました。(藤沢店にトーマスキャンベルとのコラボレーションボードがあるのも彼らの関係性によるものです)
ロビンの人脈はそのまま私に受け継がれ、アレックス、CJ、ジャレッド、トロイがシェープを始めると、当然のことのようにシーコングで彼らのボードの取扱いを始めました。
それ以外にもマットハワードとブリターニークインやジョンペックも当然ロビンからの紹介があったからです。
そして昨年はアレックスを通じてあの鬼才ジャスティンアダムのボードがシーコングの棚に並び、今年の5月、正式にニックメランソンが紹介されたのです。
今まで、ロビン、アレックス、ジャレッド、ダノー、トロイと海外、国内とサーフトリップに行ってきました。
残念ながらサーフトリップは必ずしも波にあたるとは限りません。どちらかというと期待しているほどの波にあたらないことの方が多いくらいです。
それでも彼らと過ごした貴重な時間は私、シーコングにとって大きな財産となって受け継がれてきました。
本日より一緒に北に向かうニックメランソンもまたこれからシーコングのネットワークに加わり、新たな歴史を継承してくれると信じています。
これから2週間、北に西に南に出没する予定でございますので、ぜひぜひご注目ください。
皆様にお会いできるのを楽しみにしております。
シーコング藤沢店
田中