シーコング店長ブログ

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懐かしい写真!

藤沢店の田中です。

 

先日、マテオのカレンダリオの入荷があったので出会った当時の古い写真を探していると、2004年に雑誌「NALU」の取材に同行させていただいた時の写真が目に留まりました。

 

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マテオ&ブリタニーの2022カレンダリオは完売となりました。

 

 

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当時の記事はその後、表紙となり特集されました

 

誌面の内容は、「ジェネレーションX ポストジョエルチューダーは誰だ?」みたいな感じで、カリフォルニアに湧き出てきた20歳前後のアップカマーにフォーカスしたものでした。

 

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ジョエル、マット&ブリタニー、デボンハワード、タイラーハジキャン、デーンピーターソン、ジミーガンボア、ジョシュファブロー、ミッチアブシャー等が今にして思えばシングルフィンロングボードの第1世代のようなもので、それに続くスターの発掘を主旨としていたような気がします。


フューチャーされたのはロビン、アレックス、タイラーウォーレン、ダレンユーデリー(ウェーバー「プレイナー」の開発者)で、彼らのライディングシーン、ライフスタイルシーンがperoさんによって収められました。サーフィンのことだけではなく、純粋なライフスタイルシーンが取り上げられたのは大変珍しかったと思います。

 

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取材の時期は多彩で奇抜なボードデザインと派手なウェットスーツで周囲を巻き込みながら頭角を現してきていたロビンキーガルがカピストラーノビーチに「クリームハウス」というファクトリー兼ショップをオープンするということでそのオープニングパーティの日に合わせました。


ロビンキーガルは当時21歳。幼い頃よりドナルドタカヤマ氏の寵愛を受け、デューイウェーバー、タイラー、ダノーのライダーを経て、パーソナルブランドの「Creme」をオープンを控えていました。


その時点で彼と知り合ってすでに5年ほど経っていたのですが、当時の傍若無人な行動に頭を痛めていた私はそれまでの5年間が本当に長く感じられていたため、今にして思えば「まだロビンは21歳だったのか」と思うと感慨深いです。


すでに当時までにすべてのサーファーマガジンを読み切っていたというロビンでしたが当初作っていたボードは現在のものよりボリュームとロッカーがあり、クラシックロングボードの風合いを残しつつもとても乗りやすそうな形状で、そのボードをキャンバスに見立てたように多彩なアブストラクトを施し、世間の耳目を驚かせていました。(もともとは彼は普通で乗りやすく、しかも格好いいボードを作っていたのです)


彼はボードを作ることと並行し、レトロなデザインを取り入れた日本製のウェットスーツを当時カリフォルニアで頭角を現しつつあった影響力のあるサーファー達に無償で配っていました。(日本製のウェットスーツはとてもクールで世界最高のクオリティとして当時から絶大な人気で誰もが欲しがっていたので、有名サーファーたちもそれに飛びついたわけです)


ある先輩サーファーは「ボードとウェットが同じブランドなんてダサい」と言いましたが、第三者から見ればクリームのボードに乗っていなくても、派手なクリームのウェットスーツを着ていれば、「みんなロビンの仲間(使っているボードもクリームだろう)、なんてすごい勢いなんだ」と思ったのです。当時はロビンのプロモーションのうまさが光っていたのです。


当時クリームのウェットスーツを着ていたのは、アレックスノスト、ジャレッドメル、クリスチャンワック、コーディシンプキンス、トーマスキャンベル、ブレンダンホワイト、スティーブクリーブランド、ブライアン"ローファー”アンダーソン、JTなど今見ても錚々たるメンバーで、現在のサーフシーンのメインストリーム、カルチャーの先駆者と言えるでしょう。

 

撮影取材はまずサンオノフレで始まりました。


サンオノフレは言わずと知れたマリブと並ぶカリフォルニアサーフシーンの中心地ですが、駐車場から坂を下り、右側遠方にトラッセル、チャーチを眺めながら左に折れ、最初に現れる通称“ポイント”からフォードアーズ、オールドマンズ、ドッグパッチと連なるブレイク沿いに駐車場が並んでします。

 

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当時も今も勢いのあるアップカマーは“ポイント”前の、駐車場区画外の左側のがけ下に横付けすることによって“格の違い”を誇示するのでした。

 

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左より、ロビン、JT(現在のクリームのシェーパー)、ノーランホール(VANSのディレクター)、私、ダノー、?、アレックス、JJウェッセルズ)



そしてその夜、まずは新装クリームハウスの1階の駐車場部分でライブが始まりました。


演奏していたのはすでに同世代のヒーローとして数多くのサーフフィルムに出演しながらバンド活動を行っていたアレックスノスト率いるジャパニーズモーターズ。(遡ること5年前には、ロビンは私にあいつのことは大嫌いだと言っていたのですが)


ひとしきり盛り上がった後、2階の居住部分兼オフィスに移動し、映画「ビッグウェンズデー」さながらのパーティが始まりました。

 

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左、カーキ色のジャケットの後姿は後の「シーワードベッセルのブライアンアンダーソン、奥はダベンポートのアンバサダーのエドファクター、グレイのTシャツの後姿はアレックスノスト、その右は伝説のコーディシンプキンス、金髪の後姿はあのジルハンセン

 

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深夜、少しずつ人数が減り、最後に残ったのは泥酔しているものばかり。


そして些細なことで大乱闘が始まり、警察が乗り込んでくる、というお決まりの成り行きとなり、幕を閉じるのでした。

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「ネクストジェネレーション?なんだ、それは?あいつらは時代を背負うほどの経験も知識も持っちゃいないよ。ただのガキの集まりだ。サーフィンの歴史も理解してないし、大きな波に乗れないやつばかりだ。俺はあいつらのことなんて認めない」と、当時の大物サーファーが彼らを評していましたが、実は私も同感でした。


しかしながら、今になってみると現在の世界のサーフシーンを牽引しているのはその場で騒いでいたあの彼ら達そのものです。


シーコングの現在のラインナップについて、カリフォルニアやオーストラリアのどこに行っても「最高」と言っていただくのですが、その時、私はまさか彼らが本当にポストジョエルチューダーとして世界のサーフシーンを牽引するとは、当時の私はそんな目で見てはいなかったのです。

 

たまたまデューイウェーバーのライダーだったロビンに取り付かれ、カリフォルニアに行くたびに私のレンタカーに乗って食事に行き、その途中で「友達も誘っていい?」というので、道中拾っていった生意気なガキたちがあれよあれよという間に勝手に有名になっていったのです

 

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初めて知り合った頃の上の3人が

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4年後にこうなってしまいました



そんなカリフォルニアのサーフシーンを思いながら考えることは、サーフィンがスポーツではなく文化であるということです。


日本では「どのボードがノーズがしやすい、ターンしやすい」などボードの性能について比較し、技の精度を高めることを意識される方が多いのですが、彼らは当時から「俺のボード格好いいだろ?こんなの見たことないだろ?こうやって乗るのが昔流の乗り方なんだ」などと、ただのビーチの遊び道具の感覚です。


カリフォルニアではサーフィンは「あーしなければならない、とか、こうしなければならない」という決まりとは最もかけ離れた自由を象徴するものとして考えられています。


もちろん私たちが住んでいるのはここ日本なので、アメリカに追従する必要はないのですが、人それぞれの「自由」、「遊び」をもっと感じながら楽しんでいただきたい、また今後もそれをお伝えしていきたいと思っている次第です。


そんなことを古い写真を見ながら思っていました。

 

シーコング藤沢店
田中

 

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