まだカリフォルニア滞在中の田中です。
前回のブログの後、ホテルから200キロくらい北にあるオーハイという街にロビンと一緒に戻りました。
何しろ彼は自動車の免許証を持っていない(今取得中です)ので、誰かが足代わりになって移動させなければならないのです。
現在、カリフォルニアの渋滞は日本の数倍もひどいので「朝10時には出発しよう」と約束していたのですが、彼は北に向かう前に祖母の墓参りをしたいといいだし、そのためにまず花屋に行くことになりました。
私が携帯で花屋の場所を探そうとすると、いきなり「何やってんだ。俺が15年くらい前にこの町に住んでいたのは知っているだろ(もちろん、お前の家の床を張り替えてやったじゃないか)」、「この街のことはすべて頭に入ってるんだ。地図なんか必要ない。だいたい人間はコンピューターに頼り過ぎなんだ。コンピューターの生まれる以前は、人間は本校を感知し、経験を記憶することによって・・・・・」とまたいつもの説教が始まりました。
私は「はい、はい、わかりました。行く方向を指示してくれ」と、彼に従うことにしました。
ところがいつものように、たどり着かないんです。
私はただただ、彼が道に迷って、行先を記憶してないことには触れず、黙って運転していました。
ようやく見つけた花屋はホテルから歩いて1分くらいのところにありました。
彼はそこがホテルより近いことには触れず、「ほら、ちゃんと頭の中に場所が記憶されてたんだ」とのたまったのです。
そして車を降りると、偶然に以前ガトヘロイのパーティのため日本に来日したプロスケーターのタイラームーマがひょっこり現れ、軽く30分くらい話し込んだのです。
花を買い、向かった墓地の場所を見つけられず1時間、墓地にたどり着き、その広い墓地の中で暮石を探すこと1時間。「大体どんな景色だったか、頭の中に風景のアングルが記憶されているんだ」と言っていたのですが・・・
結局、案内所に行き、暮石を探し出した後も、添える花の位置にこだわり、さらに1時間を費やしました。
「そろそろ出発しなきゃ夕食に間に合わないんじゃない」と、私が言うと、「じゃ出発する前に腹ごしらえしよう」ということになり、近くのスーパーのフードコートで3倍のワインを飲み、風変わりなおばさんと話し込むこと1時間、やっと地元を出発できたのです。
ところがロサンゼルス市内で強烈な渋滞にはまり、トイレに行きたくなったと言い出し、フリーウェイを降りて近くのホテルでトイレを借りたのですが、「ちょっと一杯飲んでいこう」と、そこで3杯飲んだ頃には、すでに夕方の5時を過ぎていました。
その後も渋滞は続き、結局オーハイについたのは夜の8時過ぎ、朝ホテルを出発してから10時間が経過していました。
翌朝、私は帰国する新井の最後の仕事のために、朝4時半にオーハイを出発し、コスタメサで新井をピックアップしてサンオノフレで撮影が終わった後、新井を空港まで連れていき、再びコスタメサに戻り、ジャレッドと食事に行ったわけです。(インスタグラムに写真をアップしているのでご覧ください)
と、こうして私自身はほぼ何もしないままに、日々が経過しているのです。
それでも昨日はジャレッドのライディングを撮影し、今日はジャレッドのシェーピングの撮影もしました。
今夜はいよいよアレックスが戻ってきます。
アメリカ大陸の西岸には南極方面で発達しているハリケーンのうねりが届くようで、私の活躍の場もやっと出てきそうな気配です。
あと数日ですが、何とかいい映像を持ち帰りたいと思っていますので、楽しみにお待ちください。
シーコング
田中