カリフォルニア3日目の朝を迎えました。
シーコングはこのカリフォルニアにたくさんの取引先があります。
この仕事を始めた頃は、ウェーバーに行くときにはウェーバーのジャケットを着て、ハーバーに行くときにはハーバーのTシャツを着て、と気を使っていました。
その後、ウェーバー、ハーバーからクリームやダノーを扱う頃になると、そんなことはどうでもよくなり、気を遣うことはしなくなりました。
しかし10年ほど前から、どこに泊まっていようと朝早くからジャレッドから電話があり「今日は何するの?朝ご飯を一緒に食べよう」とか、ロビンは私の時間を徹底的に奪い、そうするとアレックスと過ごす時間が少なくなり・・・と彼らの人間関係に振り回され、着る服よりも時間の配分に気を遣うようになりました。
「明日の予定は?」と聞かれても、「日本人の友達に会いに行くんだ」と言うように・・・なったのです。
しかし、ここ数年は、ロビンはフランスに、ジャレッドはバリに移住していたため、アレックスも頻繁にライブツアーや撮影で出かけることが多くなり、デーンやトロイ、ダノーともゆっくりと食事をしたりするようになったのです。
今回の渡米の目的はまったく別の要件だったのですが、それでもアレックスがメキシコから戻るのは6月30日で、ジャレッドはバリにいて・・・だから上手く調整すればみんなと会える時間は十分に調整できる・・・と思っていたのです。
ところが18日についた初日の夕方、ノーランとの夕食に向かうためウーバーを待っていると、突然あのジャレッドメルから電話がかかってきたのです。
「ハイ、何してるの?」
「今、コスタメサでこれからノーランと夕食に行くんだよ。どうしたの突然?」
「俺も今ロサンゼルスにいるんだ。明日そっちに行くから。なんで俺が今ここにいるかについては明日説明するよ」と、意味深なことを言ってジャレッドは電話を切りました。
そして昨日、「今からロサンゼルスを出てそっちに向かうから、夕食を一緒に食べよう」というメッセージの後、連絡が途絶えてしまいました。
夕食の時間になっても連絡がこないので、こちらから電話をしてみると「行こうと思ってたんだけど、連れて行ってくれるはずの友達の予定が変わったんだ。だから迎えに来てくれないか?」と言い出しました。
私たちが泊っているコスタメサから彼が言うトパンガは間にロサンゼルスの市内をはさむため、常に渋滞がひどく、相当な時間がかかります。
それでも彼の「なんでここにいるか説明するよ」という言葉に興味があった私たちは、午後7時過ぎにコスタメサを出発しました。
思ったほど渋滞もひどくなく、予定より早くつきそうになったので、助手席の新井が詳しい場所を聞くためにジャレッドに電話をしました。
電話の後、新井が「酒飲んでるの、って聞いたら、朝から一日中飲んでる」って言ってましたよ」と、悪い予感がすることを言いました。
トパンガという場所はあの有名なマリブの北側にある渓谷で、民家もまばらな山奥です。
何とかたどり着き、私たちを駐車スペースに誘導したジャレッドはすでに泥酔して、私たちを泊っている家に招き入れました。
その家の主は、昔一緒に新島に行ったことがあり、ダクトテープの時にはシーコングの2階に宿泊していた古くからの友人のテイラーという女性でした。
カリフォルニアに来るたびに「うちに泊まりに来て」、とか「ご飯食べに行こうよ」と頻繁に誘われていたのですが、なかなか彼女に時間を作ることができなかったため、いつも「私のことが嫌いなんだ」と、まるで彼女のように不満を言っていました。
とりあえず、今までの言い訳をした後、ジャレッドの説明が始まりました。
すでにろれつが回らず、ほぼ何を言っているかはわからなかったのですが、とりあえずバリを強制退去になったことはわかりました。その理由は「俺が有名だからさ」と、ジャレッドは何度も同じことを口にしました。
そして、そこに数時間いた後、夜中にコスタメサに戻ってきたのです。
「どこに泊まるんだよ」と聞くと、「お前らの部屋に泊めてよ」と。
結局新井の部屋に泊まることになったのですが、その新井も「自分の育った場所に帰ってきたのに、俺たち以外に迎えに来る友人もなく、泊る部屋すらないなんて・・・・」と嘆いていました。
この状況が彼の生き方そのものなのです。
最近は、ロビンに振り回されている話がほとんどでしたが、さらなる敵が思いがけなく表れてしまいました。
月末に戻ってくると言っていたアレックスからは今夜一緒に召し行こうよ、と予定外の連絡がありました。
仕事は上手く進展しているのですが、今回はその人間関係に振り回されることになりそうです。
あと2週間、頑張ります。
シーコング
田中