藤沢店の田中です。
今日はハーバーサーフボードのラインナップを代表する2つのモデルをご紹介させていただきます。
“トラッセルスペシャル”と“チーター”は1960年代のハーバーサーフボードを代表するモデルですが、それは同時に当時から現在においても、サーフボード史上に名を残す傑作として知られています。
惜しくも2年前に他界したリッチハーバーが50周年記念に出版した記念の本の中に、それらのオリジナルストーリーが書かれています。
このブログでも何度も書いていますが、サーフィンの本質はノスタルジーにあります。
技術や素材の革新、ハイスピードな現代社会に嫌気を感じる人々が愛する文化なのです。
社会は変化しても、サーフィンだけは昔のままでありたい、と考える人々の集まりなのです。
そういった意味で、このような歴史的なヒストリーは貴重です。
10数年前、ロビンキーガルは突然、神様ジョンペックを伴って来日しました。
私の助手席にジョンが乗り、ロビンは後ろからジョンにせっかくとばかり質問を浴びせていました。
「1963年の1月1日になんでパイプラインに行くことになったの?」
「その日は誰が一緒だったの?」
「朝食は何を食べたの?」・・・
など、いろいろなことを聞いていました。
私は後ろを振り返り、ロビンを見たとき、ロビンがその会話を録音していることに驚きました。
後からロビンにたずねると「さっきの話はどんな雑誌にも書かれていないことなんだ。サーフィンの歴史において非常に重要なことだ。その話を本人から聞くことができたんだ」、と興奮していました。
サーフィンの歴史を当事者が語る、その重要性を思い、私もリッチハーバーの"ORIGIN"を代筆させていただきました。
====="トラッセルスペシャル"について=====
"ORIGIN"
「そのボードに“トラッセルスペシャル”と名付けたのは簡単な理由だった・・・」
1965当時、ハーバーサーフチームのメンバーだったマークマーティンソンはサンクレメンテの南に位置するカリフォルニア屈指のポイントブレイクのローワートラッセルズではひときわ際立ったライディングで評判でした。
あまりの上手さに彼のパフォーマンスを見るためにサーファーたちは海から上がってくるほどで、私は当時それを何度も目にしていました。
そこで私はマークのためにトラッセル用の特別なボードをデザインすることにしました。
ディーンエリオット、マイクマーシャル、そして私の3人がその新しいボードを開発することにしましたが、最終的にはマイクマーシャルにシェープを任せることにしました。
なぜならマイクとマークは以前、他のプロジェクトで一緒に仕事をして大成功を収めており、サーファーとシェーパーのコンビとしてはすでに絶好調だったからです。
彼らによって新しくデザインされたボードは、ノーズが細く、当時の平均的なサーフボードよりもテールが絞られたようなアウトラインになっていました。
これらの特徴によってボードのスピードは増し、マークマーティンソンのパワフルなライディングをさらに引き立てることになりました。
そしてこのボードに試しに乗ってみたサーファーのほとんどがこのボードを欲しがることになったのです。
翌年の冬、マウイ島へ行くことになった時、そのボードは修理に出され、当時の習慣によってカラーリングが変更されました。
それは写真映えがいいように、真っ赤なソリッドピグメントに変更されたのです。
このボードの評判は口コミで広がり、1966年、正式にハーバーサーフボードのラインナップに加えられました。
しかし私は機能的でエレガントなラインを強調したかったので真っ赤ではなく、シンプルなクリアのボランクロス、レッドウッドのトリプルストリンガー、そしてソリッドイエローのフィンを採用することに決めました。
ロゴのデザインは、ハープアルバートのアルバムジャケットから気に入ったフォントを採用したもので、これは現在にも引き継がれているのです。
====="チーター"について=====
"ORIGIN"
「ノーズライディングがとても簡単で、まるで“ズル”をしているように感じられたので、このボードを“チーター”と名付けました」
1960年代、ハーバーサーフチームのメンバーであったスティーブビッグラーは、サンディエゴからサンタバーバラといったサザンカリフォルニアを中心にサーフィンをしていました。
ある日、リンコンでサーフィンした後、彼は私のシェーピングルームにやって来て、レニーイエーターが新しく作った「スプーン」(が施されたモデル)について、数時間もしゃべる続けました。
スティーブビッグラーはリンコンでその「スプーン」をずっと見ていたというのです。
彼はそのボードがいかにうまく機能していたのか私に説明し、私は「スプーン」の代わりにデッキに段差をつけたモデルを作ってみました。
このプロトタイプモデルが、1960年代のハーバーサーフボードのベストセラーとなった「チーター」になったのです。
ノーズライディングがとても簡単で、まるで“ズル”をしているように感じられたので、このボードを“チーター”と名付けました。
チーターは、ノーズのデッキ側が薄くえぐられたステップデッキなので、サーファーがノーズに乗るとたわんでノーズロッカーが抑えられてフラットになり、スピードが上がり、サーファーに長い“ティップタイム”を与えることができたのです。
スティーブビッグラーは1966年にサンディエゴで開催されたワールドチャンピオンシップで、このチーターに乗り4位に入賞しました。
そして同じコンテストにチーターで出場していたジョックサザーランドは2位を獲得しました。
彼らが使ったボードは両方とも10フィート近くあり、ノーズライディングに最適な長さでもありました。
同じコンテストに出場し優勝したナットヤングが使用したボードは9フィートで、彼の短いボードは質量が少ないためより簡単にターンをすることができました。
この大会の結果はその後の技術的な革新に大きな影響を与え、ショートボード革命の幕開けになったと言われています。
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シーコング藤沢店
田中