藤沢店の田中です。
カリフォルニアから帰国しすでに1週間以上が経ちましたが、毎度のことですがいまだに時差ボケに苦しめられています。
昨日、少々ぼっとしながら朝7時半ころ藤沢店のドアを開けたら、電話が鳴っていました。
受話器を取ると「モチモチ、トシ?モチモチ、トシ?」と聞き覚えのある声が・・・
メキシコのバハカリフォルニアのスコーピオンベイに住むマットハワードからでした。
2年ほど前、人生初めての携帯電話を購入したことは知っていたのですが、下手に電話をすると・・・・
話の内容は、「カリフォルニアに何度も来ているのに、なぜ俺たちのところまで来ないんだ」、「最近俺たちのことプッシュが足りないんじゃない?もっとみんなに紹介してくれよ!」と・・・。
私もさんざんお世話になっていながら、今年はずっとバタバタしていて、そのことはちょっと気になっていたので、「任せてよ。いっぱい宣伝して、いっぱいボード売るから」と調子のいい返事をしてしまったのでした。
ということで、改めてマテオ(マットハワード)&ブリタニークインについてご紹介させていただこうと思います。
今では海に行けば、シングルフィンロングボードを見かけることは珍しいことではありません。
これから寒くなれば、ブラックスキン一色のウェットスーツを着ている人を多く見かけるでしょう。
しかし、ロングボードがリバイバルしてきた1980年代の後半から1990年代の後半頃までの間は、実はロングボードと言えばサイドフィン付き、ウェットスーツと言えば蛍光色が流行った1980年代後半以降もカラフルなジャージのウェットスーツが当たり前でした。
そんな中、1990年代の中ごろ、当時20代半ばの二人は地元であるロングボードの聖地マリブにて1960年代にオニールによって開発されたような黒いゴム製のウェットスーツを纏い、とても重量のあるシングルフィンのロングボードを持ちだしてきたのです。
1980年代にリバイバルを果たしたロングボードは、1970年頃から興ったショートボード革命の影響を受け、その形状はまるでショートボードの形をした長いボードでした。
強いロッカーと狭いボード幅、絞り込まれたノーズとテールの軽量に仕上げられたボードは、ロングボードの長さでありながら、波に乗るというよりも波の上をパンパンと飛び跳ねて、浮力と推進力を得ていたのです。
そこにマットとブリタニーは重たいシングルフィンロングボードを持ちだしてきたのです。
彼らのライディングが他のサーファーと違うということは誰の目にも明らかで、そして彼らのライディングにくぎ付けになったのです。
彼らはまさに、波に乗り、波の上を滑っていたのです。
ボードの上で彼らは前後に歩きながらバランスをとり(トリムし)、スピードを加速させ、ボードを回転させたのです。
それはとてもスムースで優雅なものでした。
「サーフィンとはこのようにして、トリム&グライドを楽しむものなんだよ。みんなが乗っているのはロングボードじゃないんだよ」
「そもそもサーフィンとは波に乗ること、波の上を滑ることであって、波の上で飛び跳ねて浮力を生み出す必要はないんだ」
と、でも言うように。
時を同じく、南に200㎞程下ったサンディエゴエリアではジョエルチューダーが、サウスベイではタイラーハジキャンが、そして彼らと同じマリブではジミーガンボアやジョシュファブロー、そして若きデーンピーターソンが一斉にシングルフィンロングボードの上で華麗なパフォーマンスを見せ始めていきました。
そして、UCLAの大学院で芸術を学んだマットは、得意のアニメーション技術を取り入れたサーフィン映像の制作にとりかかりました。(今では驚くことに、その制作者には何人もの日本人が名を連ねているのです。彼らもまた同じ時にマリブのサーフシーンにいて、それに共鳴して作品作りを手伝っていたのです。彼らの先見の明がその後何年もの間、日本で花開かなかったのはとても残念なことです)
しかし芸術家として映像制作に取り組むマットは、それにのめり込むあまり数年の歳月をかけてもまだ完成に至ることができませんでした。
そのころサンフランシスコから新進気鋭のスケートボードの映像制作者がマリブを訪れ、新しい世代のシングルフィンロガーたちのスタイルに衝撃を受け、なんとマットよりも1年早く作品を完成させたのです。
その中には、マットが作っていた映像の出演者と同じくジョエルチューダーをはじめ、タイラーハジキャン、デーンピーターソン、ジミーガンボア、そして当のマットとブリタニーも含まれていたのです。
そのことにショックと怒りを感じた彼は、まだ訪れる人も少なかったバハカリフォルニアの砂漠の中にある小さな町サンファニコ(通称スコーピオンベイ)に移住を決めたのです。
つまり、今皆さんが乗っているシングルフィンロングボード、ブラックスキンのウェットスーツは1990年代の後半、彼らが着用し、彼らが乗り始めたことによって復活を果たしたのです。
言うなれば、彼らがいなかったら今のこのロングボードシーンはまったく違っていたものになったかもしれないのです。
そういった意味で、彼らの功績は一部の”わかる人たち”において非常に高く評価されています。
ただそれを広めたのが、当の本人たちではなく、先に作品「シードリング」を作った、トーマスキャンベルということだけだったのです。
突如第一線から姿を消した稀有なサーファーカップルは、その後数年もの間、カリフォルニアに帰国せず、そのために伝説の存在と化したのです。
2003年、ロビンキーガルがクリームを立ち上げ、そのオープニングパーティの取材のため雑誌NALUのスタッフ一行とサンオノフレで撮影をしていた時、偶然スコーピオンベイから戻っていた二人をロビンに紹介されました。
その後、2005年、私は先々月に亡くなったクリスとともにメキシコのラパスに、Tシャツにプリントするマットの作品を買いに行きました。
この時購入した作品がこちらです。
そして2008年、スタッフの新井、当時のNALU編集長の佐野さんとともに、ついに念願のスコーピオンベイを訪れたのです。
サーフィン史上最も気品があり、スタイリッシュなグーフィーフッターのレディスロングボーダーであるブリタニークインがボードのシェープ、ラミネートを担当し、それに施すアートワークはマットの担当です。
真のアーティストらしく、他のシェーパーが作るサーフボードとは完全に別物です。
もちろんシングルフィンロングボードを現代に復活させた彼らのコンセプトもまた”クラシック”であることは当然です。
シェープされたブランクスにビンテージのファブリック纏わせ、古く変質したレジンを用いてラミネートし、仕上げられています。
★ヤバダバタブラ 5'4ft フルチャンネルボトム
・アートワーク by マットハワード on ビンテージファブリック
・ハンドシェープ by ブリタニークイン
・価格:¥600,000(税込)
★ヤバダバタブラ 5'5ft フルチャンネルボトム
・アートワーク by ブリタニークイン on ビンテージファブリック
・ハンドシェープ by ブリタニークイン
・価格:¥600,000(税込)
★ゴマゴザ 5'9ft
・アートワーク & カラーリング by マットハワード、ターコイズピグメント
・ハンドシェープ by ブリタニークイン
・価格:¥480,000(税込)
★コズミックコメット 7'1ft
・オレンジピグメント with アートワーク&ペインティング by マットハワード
・ハンドシェープ by ブリタニークイン
・価格:¥600,000(税込)
★ウォザ・ヨゥザ・ゾゥザ 7'1ft
・ペイルイエローピグメント with アートワーク&ペインティング by マットハワード
・ハンドシェープ by ブリタニークイン
・価格:¥680,000(税込)
★ウォザ・ヨゥザ・ゾゥザ 7'6ft フルチャンネルボトム
・ビンテージファブリック
・ハンドシェープ by ブリタニークイン
・価格:¥380,000(税込)
★ネブラ 9'8ft
・ビンテージファブリック
・ハンドシェープ by ブリタニークイン
・価格:¥450,000(税込)
砂漠の中に、大型のスクールバスを持ち込み、1台をシェープルーム、1台をラミネート工場として改良されています。
庭には色付けしたコンクリートで固められた「8」の字型をしたスケートパーク、敷地内にある家は彼らの手作りで、室内は彼らのアート作品が壁一杯、天井を覆いつくしています。
そんな理想郷に住む彼らだからこそ創り出せる最大の芸術的な作品が「マドルガーダタブラス」のサーフボードです。
同じものはこの世に2本となく、すべてが完全な唯一の作品です。
世界最高の波で繰り返しテストされたボードは他に類を見ないほどの完璧なチューニングが施されていると言っても過言ではないでしょう。
最高のサーフボードを手にしたい、人と違う個性的なボードに乗ってみたいと思うのであれば、彼らの創ったボードを通り過ぎることは不可能でしょう。
皆さんのお問い合わせ、ご来店をお待ちしております。
シーコング藤沢店
田中