ラゴス、ポルトガル
「とにかくバス停にクレメントが迎えに行くから。俺は朝こっちを出発するからラゴスで晩飯にしよう。じゃあ」とその後は彼からのメールは途絶えてしまいました。
ロビンに頼まれた大型楽器を2台を三脚、カメラセット、ウェットスーツを詰め込んだ大型スーツケースの上に乗せ、金曜日の朝、早朝のセビリアのバスターミナルに向かいました。
目的地のポルトガルのラゴスまでは約250キロ、高速バスで4時間の道のり、南スペインの退屈な景色を通り過ぎ、ポルトガルに入ってもその退屈さは変わらず、たまにロビンからのメールを確認しても何の音さたもなし(どうせ携帯持ってないからメールが来るわけもないのですが)、私はラゴスに着いた時にもし誰もいなかったら、という次の展開に備えてホテルを探したりしていました。
私の心配をよそに、ラゴスのバスターミナルに到着した途端、おんぼろの車にサーフボードを乗せた女性が近づいてきました。
彼女の名はアンドレア。ロビンの友達クレメントの彼女で南ドイツのノイシュバインシュタイン城の近くで生まれ育ち働いたところ、退屈な生活と寒さに嫌気がさし、コロナをきっかけに2年前にこちらに移り住んできたとのこと。
クレメントが風邪をひいているので代わりに向かいに来てくれたらしく、彼女の車に同乗しクレメントの両親の家に向かいました。
クレメントの両親はパリで働いた後、リタイアしてこの地を選び8年前に移り住んできたらしく、その自宅は想像をはるかに超える大邸宅で、早速自前の庭園で取れた野菜を主にしたランチとフランスから持ってきたという高級ワインを記念に開けて歓待してくれました。
その後、時差ボケ解消のためにラゴスの街を散策し、アンドレアとその友達ロミとともに絶景の夕陽を眺めに丘に登りました。
突然現れた日本人のおっさんとドイツ人、そしてオランダから移り住んできたロミという
変なめぐりあわせを3人で楽しみ、ビーチの上のレストランでその日のディナーを迎えました。
ロビンがいなくてもこうした時間を過ごせることが旅の魅力ですが、私としては美女2人に囲まれたこの時間を過ごせるのなら、いっそのこと彼が当分の間現れないほうがいいな、と考えながらディナーの時間を楽しんでいました。
夜9時を過ぎ、クレメントの家に向かう道、明らかに道に迷っていそうな車が反対方向から現れ、私たちの車の横で急停車しました。
「トシー」それが彼の第一声。私がここにたどり着くためにすでに3日以上を費やしていることも気にせず、いつもの調子で、執拗に絡みついてきました。
すでに夕食も終わり、時差ボケのためにいち早くベッドに入りたい私を無理やり「ハラヘッタ、ハラヘッタ」と日本語で喚き散らし、私を再び街まで連れ出しました。
以前と変わらず、いつものように一方的な話が始まりました。
私がここに来た目的もよそに、今回の旅に興奮し(一向に日程などは話さないのですが)、その後話をコロナ、そしてロシアの侵攻について延々と演説を始め、過去に何度同じようなシチュエーションを辿ったことかとデジャブを感じながらポルトガルの夜が更けていくのでした。
そしてここからが肝心な話ですが、帰りの持ち道すがら「今年はたくさんボード作るから。そのためのブランクスを大量に持ってるんだ。少なくてもその1/3は日本に送るよ」と私を安心させたのでした。
フランスから1000キロの道のりをほぼノンストップで走ってきたロビンのフォルクスワーゲンのバンの中には、この旅でテストする予定だという17本ものボードが詰め込まれていました。狭い車内に身を沈めながら「ようやく旅が始まった」と実感することができるのでありました。
今日はWi-Fiがないので写真は後日、アップします。
続きをお楽しみに!
シーコング
田中
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