こんにちは。岡田です。
カリフォルニア珍道中の続きです。
クタクタの私の目の前に現れた酔っぱらいは、その見た目に反してとても人が良く、そして優しく私に話しかけてくれました。
「ようこそ!やっと会えたね!フライトはどうだった?疲れているだろ?今日はとりあえずホテルでゆっくりしなよ!」エバンとは事前にInstagramで連絡を取っていました。
私がまだ宿を取っていないことを伝えると、エバンはすかさず
「俺の友達がモーテルをやっているんだ。”ニューポートビーチチャンネル”ってところ。そこを紹介してやるよ!」
そう言いました。
私はその名前を聞いた途端、そこに行ったら本当にお終いだと思ったのでそのモーテルは丁重にお断りしました。
⇒ニューポートビーチチャンネルの詳細は過去の田中のブログで。
結局、エバンの家から車で10分ほどのモーテルで休むことにしました。そして優しいエバンは初対面の私にカリフォルニアン9’10を快く貸してくれました。(当時の私には長すぎるし車に入らん…と思いながらも。)
せっかく来たので一緒にサーフィンをして、エバンのラミネートも撮影したい旨を伝え「OK!じゃあ仕事の時は連絡するよ。」ということで解散。私はエバンの温かさに触れ、一安心してぐっすりと眠りにつきました。
せっかくだからブラッキーズやサンオノフレでサーフィンをしたかったですが、エバンの仕事を撮影したかったので彼から連絡が来るのをひたすら待ち続けました。
そうして私は期待するだけ期待して、結局はエバンが全然仕事をしないので、ただエバンの連絡を待ってサーフィンも観光も仕事も、何もできずに1日が終わるというのを3日ほど繰り返したと思います。本当に何も進まないです。私の貴重な2週間が…。
そんなある朝、私は電話の呼び出し音で目覚めます。
電話に出てみると、寝ぼけ気味の私でもはっきり分かるくらいの泥酔っぷりで、半分、いや8割以上何を言っているか分からないアメリカ人からの電話でした。エバンです。
「Ryo(私)、いいか。アメリカでのファーストミッションだ。」
やっと仕事をする気になったかと呆れ半分、期待半分です。
そんなのもつかの間「ビールを1箱買ってきてくれ。」
やっぱり仕事はしないんだな、勘弁してくれ…。という思いとは裏腹に、そんな流暢に英語が話せるわけもなく私の口から出た言葉はただ「OK」でした。
とりあえずバドライトを1箱買うと、後からメールで送られてきた住所に向かいました。
当時、エバンはVolcomのデザイナーや、カメラマン、タトゥーアーティストら5人とシェアハウスに住んでおり、馬鹿でかい庭付きのアーティスティックで豪勢な暮らしに見えました。
重たいビールを庭まで運びきると、そこにはグデグデのエバンとルームメイトたちが。
とりあえず軽く自己紹介をして私はエバンのビールに付き合います。
実は、この2週間でエバンが仕事をしたのはほんの数時間だけでした。
エバンはご存じオーストラリアのWild Thingsでずっと仕事をしておりました。しかし最愛の彼女と結婚間近だったのですが最後の最後に破局してしまい、失意のどん底でカリフォルニアに帰国してきました。
その心的ストレスや、ロビンからのストレスで酒におぼれ、まともに仕事をしない状態だったのです。
私が渡米した際はまさにそのど真ん中で、エバンのコンディションは最悪に最悪を極めました。
ルームメイトからも、耳打ちで「気の毒に、アイツはちょっとおかしくなってしまっているんだ。」と言われたほどです。
最初は庭で何人かルームメイトや近所の友人も一緒にビールを飲んでいましたが、あまりのエバンの酔いっぷりに、次々と冷ややかな目で人が離れていきました。そんな中、当然私はどうすることもできないので、ただひたすらに”うんうん”と相槌を打ちながら話を聞いていました。
エバンはなぜか日本語で「はい!」「すごい!」という単語を多用してきます。そして酔っぱらうと昔ロビンとフランスに行った際に勉強したという中途半端なフランス語を織り交ぜてきます。本当にカオスです。
しかし意外にも、私にとっては面白い話が多かったです。(と、思いたいです。)
ロビンのこと、サーフボードのこと、自分のアブストラクトをみんなが真似していること、アレックスのことなど。
(ほとんどが愚痴ですが。)
泥酔状態でしたが、ボードに関しては真剣に取り組んでおり、またその豊富な知識量と経験から素晴らしいクリームのボードやあのアブストラクトが生まれているのだなと感心しました。
いい奴だし、ちゃんと仕事さえしてくれれば最高なのです。勿体ない。
日も落ちかけた頃、再びルームメイトたちが「ジェフ・ディバインがデイドリームサーフショップで講演会をするからそろそろ行かなきゃ」と言って戻ってきました。どうやら私の分のチケットも用意してくれたようです。
そして講演会のあとは近くのバー”Boat house”のフリードリンク券がもらえるからパーティをするらしい。また飲むんかい。
すでにその日朝から泥酔状態のエバンと共に、友人のピックアップトラックでバーに向かいました。
やはりそのバーでもマルガリータやビールを飲みまくっているエバンですが、突然、トイレに行くと言ったきり居なくなってしまいました。メール、電話、何もつながりません。
土地勘もなく知らない外国の夜街にひとり晒された私は割と真剣に焦りました。
「ここはモーテルからどれくらい離れているのだろうか」「こんな夜中に観光地でもない場所を一人で歩いていて大丈夫だろうか」「私のケータイで警察につながるだろうか?そもそも警察に話が通じるだろうか」
エバンまじで勘弁してくれよ…。焦った私はとりあえず田中にメールでエバンが消えたことを伝えました。
すると「いつものことなので大丈夫です。」との返事が。
私にとっての緊急事態はそうでもないらしい…。
途方に暮れ、どうやって帰ろうか。暗いうちは動かずに夜が明けるまで身を潜めていたほうが良いだろうかと頭を抱えていたところ、奇跡的にエバンのルームメイトたちが通りかかりました。
「エバンがどこかに行っちゃった。ヘルプミー。」つたない英語でそう伝えエバンの家まで送ってもらい、その日は泊めてもらいました。
翌日、昼頃になるとボロボロになったエバンが戻ってきました。
「あぁよかった!どこに行っていたの?トシにもRyoが居なくなったって連絡してたんだ!」
私はどこにも行っていないし、居なくなったのはお前だよと思ったのは当然のことです。
どうやら飲みすぎて自分でもよくわからなくなり、しかもそのタイミングでちょうどケータイが壊れたらしい。さすがです。
「生きててよかった!俺は本当に最低なことをした、ごめんね。」エバンはそう言って反省したようです。
本来ならば初めて渡米した私をエバンに面倒見てもらう予定でしたが、その目に余るダメ男っぷりに逆に私がエバンの面倒を見なきゃと悟りました。(面倒を見るというか監視というか…。)
そこからは、とにかくずっと四六時中エバンと一緒にいました。何だかこのダメ男が不思議と愛おしく思えてきたのです。
やっと仕事をしてくれたと思ったら、夜中2時頃にウォーターマンズギルドに行き、ガトヘロイのロゴを付けただけ…。日本人からするととても仕事をしていると言えない仕事量でした。
失意のどん底にあったエバンは、人とのかかわりを避け、夜中に仕事をしていました。
昼夜逆転生活とまともな食事をせず毎日Del Taco(タコスのファストフード)ばかり食べ、自らを夜行性のコヨーテと自称していました。
ここまで来てお分かりのように、私はロビンに言われ仕事をしにカリフォルニアへ行ったものの、誘った張本人はおらず、また、何も進まずただ時間が過ぎていくばかりです。
何をしに行ったのか自分でも分かりません。(笑)
確かに、これは田中の話に聞いたりブログで読んだまさにその通りだな。本当に何も進まない。そう痛感させられました。
そうしてカリフォルニアらしい時間が過ぎていくうち、私の帰国の前日、やっとロビンがフランスから帰国してきたのでした。
次の回で最初のカリフォルニア珍道中については終わりたいと思います。
次回へ続く…。
シーコング藤沢店
岡田