シーコング店長ブログ

シーコング各店より毎日お得な情報をお届けいたします。


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メインストリームネットワーク

 

 

藤沢店の田中です。

 

●CJネルソン(シェーパー、元クリーム)
●JT(ナイトトレインシェーパー、元クリーム)
●アレックスノスト(BMTシェーパー、元ダノー、元ガトヘロイ)
●アンディフィンリー(ワイルドシングス、ガトヘロイ)
●イアンチズム(サウスコーストロングボード、シェーパー)
●エドファクター(ジャーナリスト、元クリーム
●エバンデイリー(元ガトヘロイ)
●エントランスバンド(バンド)
●カイエリスフリント(ガトヘロイ)
●カイルマクラクラン(フィルマー「ゲッティングルース」)
●ギュエムデュプイ(元ガトヘロイ)
●クリスチャンワック(元クリーム)
●クリスボーライク(アーティスト、元ガトヘロイ)
●クロビスドニゼッチ(元ガトヘロイ)
●コーディシンプキンズ(元ガトヘロイ、元ダノー)
●ジェイソンゲラ(ゴールデンステーツ)
●ジェンナーロカッパーゾ(イタリアサーフィン連盟、ガトヘロイ)
●シェーウェーバー(デューイウェーバー)
●ジャックベリー(映像クリエーター、ダノー)
●ジャックリンチ(BMT、元ガトヘロイ)
●ジャレッドメル(サーファビリーシェーパー、元ダノー)
●ジョシュコンスタブル(ロングボード世界チャンピオン)
●ジョナサンハシコグルー(デューイウェーバー)
●ジョンペック(シェーパー)
●ジョージトリム(映画プロデューサー、元デューイウェーバー)
●ジルハンセン(キャンディウェットスーツ)
●スティーブックリーブランド(映画監督)
●スティーブファーウェル(ハーバーサーフボード、シェーパー)
●タイラーハジキャン(タイラーサーフボード、シェーパー)
●タイラームーマ(プロスケーター、元クリーム)
●タナープレイリー(タナーシェーパー、元ダノー)
●ダニエラフェルナンデス(アートディレクター)
●ダノー(ダノーシェーパー)
●ダレンユーデリー(元デューイウェーバー)
●ティムスタンプス(ハーバーサーフボード、STAMPSシェーパー)
●デニースミス(デニースミスサーフボード)
●デーンピーターソン(現アンヒンジドシェーパー、元サウスコースト)
●トゥモローズチューリップ(バンド)
●トロイエルモア(エルモアシェーパー、元ダノー)
●ノアフリーランド(シェーパー、元デューイウェーバー)
●ノーランホール(VANSダクトテープディレクター、元ジャパニーズモーターズ)
●ビッグJ(元ガトヘロイ、元ジャパニーズモーターズ)
●ブライアンカリ(タイラーサーフボード)
●ブレンダンミニョニャ(元ガトヘロイ、元トランスワールド誌)
●ヘザーローゼンタール(モデル、元クリーム)
●ホバンファルシャ(ガトヘロイ、アーティスト)
●マックスデクスター(デクスターシェーパー、元ガトヘロイ)
●マーゴハムロック(サーファビリー)
●ヤタペッシーノ(ペソスボーカル、元ガトヘロイ)
●リッチハーバー(ハーバーサーフボード)
●ロビンキーガル(ガトヘロイ、クリーム)

※五十音順
※赤字はシェーパー

 

いきなり大量の人名リストですが・・・

 

これは現在のカリフォルニアサーフィン界の“ダメダメ人間コンテスト”のエントリーリストではありません。(そんなコンテストがあれば、かなりの確率で上位を独占できそうですが)

 

これはシーコングを1998年に始めて以来、プロモーションのために来日してもらった人たちのリストです。(プロモーションに関係なく、なぜかくっついて来日してきた人たちは削除しました)

 

最初に来日したのは、デニースミスという老シェーパーでした。ハンティントンビーチの出身でベトナム戦争の徴兵から逃げ出しカウアイ島に十数年隠れ住んでいた頃、あのハービーフレッチャーの臨月の奥さんを病院まで送り届けた後、ハービーの身勝手さに頭が来て縁を切ったという、変わった逸話を持つおじさん(当時のデニーより年上になってしまいましたが)でした。

 

翌年、デューイウェーバーの代理店になったのをきっかけに、現在へと続くネットワークの基礎が作られていきました。

 

2000年の秋、雑誌「NALU」が第1回のサーフコンテストを開催すると聞いて、ウェーバーに「生きのいい奴」と依頼して送られてきたのがロビンキーガルです。期待通りの活躍で出場したすべてのディビジョンで優勝し、ウェーバーのトランクスを履いて一面を飾りました。

 

その翌年、ハーバーの代理店になり、時にはウェーバーとハーバーの軍団が一緒に来日することもありました。


ハーバーのメインシェーパーであったティムスタンプスは現在、WSLのトップサーファーにボードを提供する世界屈指のショートボードをシェーパーとなり世界中からのシェープの依頼に多忙な毎日を送っていますが、当時はまだのんびりと江の島でラーメンをほおばっていました。

 

それ以外にも、初めてカリフォルニアに行ったときのホテルでバイトしていた後の世界チャンピオン、16歳のジョシュコンスタブルと知り合い、それが縁でオーストラリアのサウスコーストのボードを取り扱うようになり、当時カリフォルニアから移住したデーンピーターソンがそこに加わることになり、2003年頃、来日しました。

 

縁あって、現在はデーンピーターソンのアンヒンジドを扱っていますが、実は17年ほど前にすでに彼はシーコングのために一肌脱いでくれていたというわけです。

 

その後はカリフォルニアに行くたびにロビンから友人を紹介されたり、タイラー、ダノーなど自分がライダーとなったブランドを紹介してもらい、さらにその輪に広がりを見せました。

 

現在とは違いかなり社交的であったロビンは、自分の知り合いを次々と夕食の場に連れてきました。


そこには年長のレジェンドたちもいましたが、多くは自分より年下の15歳前後のキッズたちでした。

 

彼らはお金も車も持ってなかったので、ロビンの誘いに応じれば「ただ飯が食える」というただそれだけの理由で毎夜のように夕食に顔を出してきました。

 

アレックスノストやタイラーウォーレン、ノーランホール達に会ったのもちょうどその頃でした。

 

その後もその輪はどんどんと多岐に広がりを見せていきましたが、年月が経つとともに子供だった彼らがその若いエネルギーを発揮してどんどんとロングボード界のスターサーファーへと育っていきました。

 

多くのお客様から「すごい人脈」と言われますが、私が自ら望んでそうなったのではなく、多くはロビンの紹介であり、たまたま飯をおごってあげた子供たちが大きくなって有名になったというだけです。

 

振り返ってみれば、幸運が重なったもので、彼らは皆カリフォルニアロングボードシーンの中心となり、その彼らが紹介してくれる人もまたその中心にいるサーファーたちであるために、結果的に最高の人脈を得ることができました。

 

もちろん傍若無人なロビンの元を去っていった者たちもたくさんいます。リストを見れば「元クリーム」「元ガトヘロイ」というのがたくさん見られるのはそのためです。

 

ロビンのもとを去ったと言っても彼らは今でも私にはそれまで通りに接してくれます。

 

ずっと以前、私は「日本人は義理堅く、アメリカ人はドライ」と思い込んでいましたが、実際には「アメリカ人も大変義理堅い」と感じています。

 

彼らのほとんどは15歳のころに知り合ったと書きましたが、彼らが成長しながらシェーパーになったり、映像や洋服を作ったり、彼ら自身ではなくても友達がシェーパーになったりしたときには必ず私に相談してくれ、そして何かを一緒に始めた後には決してその関係を壊すようなことはしません。

 

仮にシーコングよりもっといい条件を出すところがあっても、彼らは一切そんな話には乗らないのです。ありがたいことに。

 

今その人脈は世界中でも自慢のものです。彼らの知り合いはまたその地での有名人で、その彼らが紹介してくれる人たちも・・・という具合です。

 

現在、新型コロナウイルスは世界中を混乱に陥れていますが、「なんとかなる」と思えるのは彼らとのネットワークがあるからです。

 

あらゆる意味でロングボード界に影響を与える存在となった彼らの今後のさらなる活躍に期待し、シーコングもそのおこぼれをもらおうと思っていますので、今後もシーコングをぜひご利用ください。

 

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 引き続き、楽しい休日をお過ごしください。

 

 

シーコング藤沢店
田中